冷戦の危機と外交

冷戦は政治体制の対立であるとともに、交渉と危機の歴史でもありました。キューバを巡る核対立、プラハの春の弾圧、レイキャビク会談を、1945年以降の国際秩序に結び付けて読みます。

この特集の記事

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歴史

キューバ、1962年:核危機をケネディに知らせた写真

1962年10月14日、U-2偵察機がキューバのソ連施設を撮影した。写真の意味は、それだけでは分からない。分析し、確認し、大統領に示す必要があった。写真がたどった道と、ミサイルの発見から核戦争の回避へ至る判断を振り返る。

歴史

プラハ、1968年――いまなおウクライナを覆う「主義」

1968年8月21日未明、ワルシャワ条約機構の戦車が「プラハの春」を押しつぶし、世界に「ブレジネフ・ドクトリン」を突きつけた――西側へ傾く隣国の意思をモスクワが覆せる、という主張である。58年を経たいま、その論理はウクライナに反響する。だが相違点は類似点と同じほど多くを語る。ウラジーミル・プーチンはワルシャワ条約機構を再建しているのではない。すでに失った帝国…

オピニオン

日本の降伏と1945年の不完全な勝利

日本の降伏から八十一年、1945年に生まれた秩序は西側に平和と繁栄をもたらしたが、勝利した民主主義諸国が決して解決しなかった矛盾も抱えていた。