1887年10月、ニューヨーク・ワールド紙の読者は、市内でも特に内部の見えにくい施設に入った記者の報告に接した。ネリー・ブライはネリー・ブラウンという名で収容され、ブラックウェルズ島の女性向け精神科施設に10日間滞在した。新聞の調査報道として始まったその記録は、今も潜入取材につきまとう問いを投げかけた。一般の人がほとんど見られない場所に入ることで、記者は何を示せるのか。一人の証言から、制度全体について何が確かめられるのか。
施設へ至る道
ブライは1864年、ペンシルベニア州でエリザベス・ジェーン・コクランとして生まれた。女性の労働や社会状況を報じたピッツバーグ・ディスパッチ紙で働く間に、ネリー・ブライを名乗るようになった。1887年にニューヨークへ移り、ジョゼフ・ピュリツァーのワールド紙に加わった。彼女を有名にした仕事は、施設への訪問以上のことを求めた。見知らぬ人や医師に精神疾患があると信じさせ、市の入所手続きを経て、出来事を報告できるだけ長く中にとどまる必要があった。
米国議会図書館はその経緯をたどっている。ネリー・ブラウンを名乗り、女性向けの一時的な宿泊施設に滞在したブライは、警察と裁判所の注意を引き、ベルビュー病院で診察を受けた。医師たちは彼女をブラックウェルズ島へ送った。単に自ら希望して入ったのではない。装った状態を人々や機関が本当だと受け取り、ワールド紙の編集者が退所させると約束していることが前提だった。
この違いは重要である。ブライは自分の演技を管理し、経験を記録できたが、職員の解釈や、退所後の患者の運命は管理できなかった。取材はアクセスを得る試みだったが、中にいる人々は対照実験の参加者ではない。寒く、混雑し、尊厳を傷つけると彼女が描いた環境で暮らす患者たちだった。
何を報じ、何を証明できたのか
報告はワールド紙に2回に分けて掲載された。1887年10月10日の「Behind Asylum Bars」と16日の「Inside the Madhouse」である。ほどなく『Ten Days in a Mad-House』として書籍になった。食事や衣類の不足、厳しい扱い、必要な対応を受けられていないと彼女が考えた患者たちを記した。また、いったん精神に異常があると分類されると、普通の行動さえその証拠と受け取られかねないと書いた。
証言が力を持つのは、彼女が現場にいて、体験した日常を描いたからだ。同時に限界もある。ブライは10日間いた一人の観察者であり、読者を必要とし、劇的な調査を命じた新聞のために書いていた。経験は、すべての病棟、職員、患者を代表するものではない。会った女性たちの臨床的な評価でもなかった。議会図書館は、精神疾患のある人、親族に送られた人、身体の病気を持つ人がいたと説明する。ブライは目撃した状況や判断を記録できたが、記事から女性たちを診断すれば、彼女が疑問を向けた制度の確信を繰り返すことになる。
施設は調査の数十年前から存在していた。ニューヨーク州立公文書館の記録は、1834年設立のブラックウェルズ島の市立施設を初期の公立精神科病院としている。ブライ到着時の問題は、市に公共のケア制度があるかではなく、内部で何が起き、日々の環境に誰が責任を負うかだった。
掲載後の反応
ワールド紙の掲載は市外にも関心を広げた。議会図書館は当時の新聞報道と、1887年11月にイブニング・ワールド紙が施設改革を求めた記事を挙げる。財政上の反応も記す。市の公共慈善・矯正部門への予算は150万ドルから234万ドルへ増え、うち5万ドルがブラックウェルズ島の施設向けに指定された。
数字は、記事が予算過程に届いたことを示す。ただし、それだけで全配分が報道の結果だったとか、支出増で施設が改善したとは証明できない。改革にはより長い歴史があり、一連の記事は検査、人員、医療、公共の監督に代わるものではなかった。施設の閉鎖は1894年、調査から7年後だった。時間がたったことだけでは、ブライが閉鎖を引き起こしたとはいえない。
彼女の功績は、社会の無知に突破口を開いたこととして理解するほうがよい。外部から調べにくい施設を読者に伝え、患者の扱いを市民の課題にする一助となった。女性記者がファッションや社交記事に押し込められがちな職業では重要だった。ワールド紙は調査後も彼女を雇い、ブライは1890年の世界一周旅行などの取材を続けた。
潜入取材の倫理
その手法には、後の記者も完全には解決していない緊張がある。偽装は、通常の観察では開かなかったかもしれない扉を開いた。一方、中の人々は一人が記者だと知らなかった。報告は中立的な窓ではなく、出会いを並べ、社会に論点を示すよう構成された物語だった。だからこそ、得られた証拠を退けるのではなく、施設の記録や他の同時代の報告と併せて読む必要がある。
この調査は二つの極端を避けて評価するのがよい。一人の英雄が施設を直したという伝説と、一記者の経験がすべてを語るという主張である。ブライは隠れた施設を見えるものにし、回答を求めるべき扱いを記録し、問題を公にする力となった。記録はその功績を支えている。そして、虐待の告発は責任を問う始まりであり、その完了ではないとも伝えている。
出典: 米国議会図書館, 米国議会図書館の調査ガイド, Ten Days in a Mad-House, ニューヨーク州立公文書館, 米国国立公園局



