ミッキーマウスがディズニーを代表する顔になる前、スクリーンには、絵で描かれた動物たちと一緒に4歳の少女が登場していた。名前はヴァージニア・デイヴィス。米ミズーリ州カンザスシティ出身の子役で、アニメーションの世界に入り込む実写の登場人物、アリスを演じていた。1923年10月16日、ウォルト・ディズニーはハリウッドで新しいスタジオを始めるための契約を結んだ。しかし、その実現には、ヴァージニアをカリフォルニアへ連れてくることを両親に承諾してもらう必要もあった。契約は事業の機会を開き、母親に宛てた一通の手紙は、その約束を映画にするための条件を整える助けとなった。 彼女はディズニー最初の子役スターだった。後にディズニーの番組で活躍するブリトニー・スピアーズやセレーナ・ゴメスらが観客に知られるようになる、何十年も前のことである。
ヴァージニアとアリスは誰なのか

ヴァージニアとアリスは同じ人物ではない。ヴァージニアは子役本人、アリスは彼女が演じた役である。1918年12月31日生まれのヴァージニアは、幼いころからダンスと演技を習っていた。ディズニーの人物紹介によると、ウォルトは映画館で上映された地元のパンの広告に彼女が出ているのを見て、目を留めた。実験的な映画に出演する子どもが必要になったとき、その少女を思い出した。こうして1923年、カンザスシティで『Alice's Wonderland』が作られた。
この映画は、実写とアニメーションという珍しい組み合わせを、わかりやすい物語にしている。アリスが訪れるのはアニメーションのスタジオで、そこで絵を動かす仕事そのものが見せ場となる。その後、彼女は、描かれた動物たちが住む世界「カートゥーンランド」に入る夢を見る。動物たちの前で踊り、動物園から逃げ出したライオンに追われる。画面に映っているのはヴァージニア本人だ。少女の姿は実際に撮影され、動物や周囲の世界はアニメーションで描かれる。彼女は、描かれたヒロインの声を担当するのではなく、画面の中で演じる女優だった。
ディズニーの『ふしぎの国のアリス』を知っている読者は、二つの作品を区別すると理解しやすい。ルイス・キャロルの物語をもとにした全編アニメーションの長編映画は1951年に登場し、アリスの声をキャスリン・ボーモントが担当した。ヴァージニアの映画は、それより約30年前の作品である。『Alice's Wonderland』は、その後も冒険を続けられる表現形式を示した短い見本の映画であり、1951年の長編を先行公開したものではない。
会社が倒産しても映画は残った
この見本の映画は、ウォルトがカンザスシティで経営していたラフ・オー・グラムで、同社が1923年に倒産する前に作られた。事業は失敗したが、映画は、新しいシリーズがどのような作品になるかを配給業者に示す材料となった。ここでいうパイロット版とは、続編の制作契約を得るための試作である。ウォルト・ディズニー・ファミリー・ミュージアムによると、ウォルトは自分の仕事を紹介する見本として、この作品をカリフォルニアへ持っていった。新しいスタジオの第1作として商業公開されたわけではなかった。
そこで登場するのがマーガレット・ウィンクラーである。ニューヨークでアニメーション映画の配給を手がける人物で、その会社が、提案された映画を世に送り出す役割を担うことになった。魅力的な試作を作ることと、継続するシリーズを配給してくれる相手を見つけることは、別の課題だった。ウィンクラーの関心が、カンザスシティでの実験を、ハリウッドで映画制作を事業にする可能性へとつないだ。
10月16日の契約
ウォルト・ディズニー・アーカイブスは、創業につながる契約の日付を1923年10月16日、署名した場所を、ハリウッドにあるウォルトの叔父ロバートの家としている。『Alice Comedies』に関する、約4ページの短い文書だった。会社の公式な創立日は、この契約に由来する。2026年10月16日で103周年となる。ディズニー最初の100年の出発点を振り返るとは、後のキャラクターやアトラクションが登場する前の、このささやかな取り決めに戻ることでもある。
ウォルトの兄ロイは、ディズニー・ブラザーズ・カートゥーン・スタジオの共同経営者となった。会社の歴史では、二人は対等な出資者だったとされる。事業の拠点は当初、キングズウェル・アベニューにある不動産事務所の奥半分だった。アーカイブスによると、初年度の契約では月に1本の短編制作が求められた。アイデアには納期が生まれた。約束するだけでなく、定期的に映画を完成させなければならなかった。
ロイは、その約束を実際に働くスタジオへと変える力になった。ファミリー・ミュージアムは、彼が初期にカメラマンや帳簿係を務め、その後は財務管理に力を注いだことを記録している。兄弟の協力には、日々の制作と会社を維持する仕事が含まれていた。ウォルトの隣にいる名前としてロイを覚えるだけでは、創業間もない事業に必要だった労働を見落としてしまう。
母親への手紙が重要だった理由
ウィンクラーは、パイロット版で見た女優に続けて出演してほしいと考えていた。ウォルト・ディズニー・ファミリー・ミュージアムによると、契約交渉の中で、ヴァージニアの続投を明確に求めていた。少女は、放棄された実験にたまたま出演しただけの存在ではなかった。彼女のスクリーン上の魅力は、配給者が買おうとしていたシリーズの一部だったのである。ハリウッドでの事業が始まったとき、彼女はまだカンザスシティに住んでいた。
10月16日、ウォルトはヴァージニアの母親に、娘がシリーズの主役を務めることを認めてほしいと手紙を書いた。手紙を所蔵するミュージアムは、ウォルトが少女の才能と、映画を宣伝するウィンクラーの力を称賛していたと説明している。日付が二つの文書を結びつける。一方は配給の契約を記録し、もう一方は、それを履行するための現実的な条件を扱っている。両親は、一家でカリフォルニアへ移ることに同意した。
見本の映画から劇場公開へ

新シリーズは1924年3月1日、『Alice's Day at Sea』で劇場に登場した。この公開と先のパイロット版には重要な違いがある。『Alice's Wonderland』はアイデアを示し、『Alice's Day at Sea』は商業シリーズの始まりとなった。D23の歴史紹介では、1924年から1927年までに56本の『Alice Comedies』が制作されたとされる。ヴァージニアは最初のアリスで、その後はマージー・ゲイ、ドーン・オデイ、ロイス・ハードウィックら別の子役が続いた。全作品を通して彼女がアリスを演じたわけではない。
最初のハリウッド作品からは、事業の小ささも見えてくる。ファミリー・ミュージアムの再構成によると、『Alice's Day at Sea』では、ウォルトが脚本、デザイン、アニメーション制作を担当し、ロイがカメラを操作し、キャスリーン・ドラードとアン・B・ルーミスが線の清書と彩色を担った。少女が絵の世界に入る効果の裏側には、いくつもの仕事があった。ヴァージニアの演技は、実写とアニメーションを組み合わせた映像の、人間が演じる部分だった。
アリスからミッキーへ
この出発から成功までの道のりは、一直線に約束されていたわけではない。スタジオは1927年、アリスから、全編アニメーションの『Oswald the Lucky Rabbit』シリーズへ移った。その後ウォルトは、そのキャラクターを自由に扱う立場を失った。権利は配給側にあった。会社の歴史では、この挫折の後にミッキーが生まれ、アニメーターのアブ・アイワークスが中心的な役割を果たしたとされる。『蒸気船ウィリー』は1928年11月18日、創業の契約から5年後にニューヨークで公開された。
ヴァージニア自身の人生も、アリスの先へ続いていった。彼女は俳優活動を続け、後にはインテリアデザインや不動産業に携わった。ディズニーは1998年、彼女を「ディズニー・レジェンド」として表彰した。スタジオの歴史に彼女が名を残す理由は具体的だ。実写の子どもがアニメーションの世界で冒険の主役になれることを示す力となり、そのアイデアが事業になったとき、再び同じ役を演じたのである。
1世紀以上たった今、契約と手紙は、その始まりを人々の行動から理解させてくれる。ウォルトは映画と志を持ち込み、ロイは事業づくりに加わり、ウィンクラーは配給を引き受け、ヴァージニアと家族は引っ越して、最初のヒロインをハリウッドへ連れてきた。観客があのネズミを知る前に、アリスを演じる少女と、その次の冒険を納品する方法を学んでいるスタジオがあった。



